2020年12月25日

稽古収め

rakubakokyoushitu20201216.jpg今年の長福寺洛箱教室も先日稽古収めとなり、そして琉球民謡伝統協会京都洛東支部練習会も先日稽古収めとなりました。
またいつも師匠にお世話になっている檀王法林寺三線教室も先日稽古収めとなり、残すところ26日の、いちゃりば教室で今年の三線教室はすべて終了になります。
来年年明けからは、長福寺洛箱教室と、いちゃりば教室では、かぎやで風節に取り組む予定で、また、手事にも取り組んで行く予定です♪
posted by タマ at 13:48| 日々徒然

2020年12月13日

つながり

母屋のおじいさんたちが亡くなった後、その兄弟たちで大阪から先生を招いて三線を習っていたのは知っていたのですが、その先生が、私の所属しているところと同じ琉球民謡伝統協会の先生で大阪支部の支部長をされている方だということを知り、驚きました。
さらに驚いたのは、京都支部の元となったのも、この先生だったとか。 色々なところでつながることに驚きです。
posted by タマ at 10:48| 日々徒然

2020年11月29日

母屋から受け継いだ工工四

tamakike-kunkunshi.jpg母屋から受け継いだ野村流音楽協会の工工四で、かなり古いもの。 表紙は古くなって後から手作りで付けられたものなのか、元からこういうものだった
のかはよくわかりませんが、大切に受け継がれてきた工工四。 玉城家の家宝です。
posted by タマ at 17:55| 日々徒然

2020年10月28日

母屋

omoyasanshin.jpg戦前から戦後にかけて沖縄から京都へと移り住んできた京都向日町の玉城一族。 その中心となっていた母屋が、今月末でその姿を消すことになった。 母屋を管理していた親戚たちがみんな高齢となり、維持していくことが難しくなったためだ。
母屋のおじいさんたちが中心となって立ち上げ、父たちが力を合わせて働いてきた光徳大理石。 嘗ては一文橋のあたり一帯が工場の敷地だった。 この工場で加工され磨かれた大理石は、ホテルなどの壁面や床などを飾り、様々な建築材料として使われてきた。
事務所の二階の大きな広間には、週末にもなると多くの親戚たちが集まり歌と三線が奏でられ、琉球舞踊が踊られ、郷土芸能の研鑽の場ともなっていた。
おじいさんたちの奏でる歌三線、そして祖母たちが踊った踊りの数々、子供の頃の記憶が懐かしさと共に心いっぱいによみがえる。 時の流れと共にそんな工場も今は姿をを消し、おじいさんの住んでいた母屋と茶室だけが工場の面影と共に残っていた。
親戚たちが集い、おじいさんたちを囲んできた母屋、そして様々な人たちを招き入れ、もてなしてきた茶室もその姿を消す。
そんな母屋で使われてきた三線一丁と工工四を、今、母屋を管理しているおばさんから譲り受けた。 「母屋は、もうなくなってしまうけれども、私らの心は受け継いで行ってほしい。」そのように言われながら譲り受けた三線と工工四。
なんとも言えない寂しさと、その心を受け継いで行くのだという思いをかみしめながら、その三線を受け取った。
おじいさんたちは生前、私を沖縄に行かそうと考えてくれていたとのこと。 私を国立劇場の地謡にさせようと考えていたとか。 あまりにも大きな話に驚いてしまったが、実際に劇場まで行って、相談までしていたとのこと。 そのときにもらったという名刺も頂いて、ただただ驚くばかりだった。
おじいさんはその後しばらくして亡くなってしまったが、このようにして、多くの人たちに支えられながら三線の道を歩めているのだということにとても感謝の思いでいっぱいになった。
母屋がなくなってしまうことは寂しいことだが、この譲り受けた三線と共に、その心を大切に受け継ぎ、次の世代へと伝えて行ければと思う。
posted by タマ at 11:12| 日々徒然

2020年06月04日

5月から6月ころにきれいな水辺に姿を現す蛍。 私の住む洛西でも、そんな蛍を見ることができます。
小畑川沿いで、ちょうど境谷大橋の下あたり。 橋を通る車の量は多く、近くにはラクセーヌや高島屋などもあるところなのですが、自然が多く豊かな環境のところになります。
親子3人で見に行って、実際に蛍と出会えてみんな大喜び。
私も状況を説明してもらいながら、心のスクリーンにイメージして、一緒に蛍狩りを楽しみました。
沖縄では蛍のことをジンジンと言いますね。 夏の夜の風物詩、幻想的にやわらかな光を放つ蛍。 暑さも忘れて、そんな光に耳を傾ける夏のひととき、とても良いものですね。
posted by タマ at 06:51| 日々徒然